2014年8月3日日曜日

北里文庫に行ってきた 北里柴三郎という人

熊本県阿蘇郡小国町の温泉に行った時に、北里文庫という記念館があったので、立ち寄った。北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)が寄贈してできたもの。明治時代の細菌学者で、今の北里大学を作ったことぐらいは知っていたが、柴三郎が日本の医学の創成期を作ったすごい人であることが分かった。

北里柴三郎は、1853年1月29日、小国町で代々総庄屋をつとめる家に生まれた。1871年、18歳で熊本医学校に入学してオランダ人医師マンスフェルトの指導を受け、医学への道を志す。

1874年、東京医学校(のちの東京大学医学部)に入学し、在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信し、その志を実践するため、内務省衛生局に入職した。

1886年からの6年間、ドイツに留学し、病原微生物学研究の第一人者のローベルト・コッホに師事した。留学中の1889年に破傷風菌の純培養に成功、さらに抗体を用いた血清療法を確立した。

当時柴三郎のジフテリアの免疫療法の研究で、第1回ノーベル生理学・医学賞の候補にも上がったが、同僚のベーリングが獲得した。

帰国後、福澤諭吉らの協力を得て伝染病研究所を創立し、さらに、わが国で最初の結核治療専門病院である土筆ケ岡養生園 (北里研究所病院前身)を設立して、結核予防と治療に尽力した。ペスト菌を発見したのも北里である。

1914年、私立北里研究所を設立、その後慶應義塾大学医学部、日本医学会を創設し、慶應義塾大学病院初代病院長も務めた。まさに明治・大正時代に予防医学の礎を築いたといえる。柴三郎は、1931年6月13日、脳溢血により78歳の生涯を閉じた。

小国町の北里柴三郎記念館(HPはココ)は、柴三郎が郷里に寄贈した図書館と偉業が紹介された記念館からなる。使用した顕微鏡や自作のガラス製の実験道具などあり、立ち寄る価値あり。

北里






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