2017年5月29日月曜日

記憶に残るチョコバー こんなものもあった


アメリカのスーパーにいて一番驚くのは、チョコバーをレジで精算するのを待たずに、店内で袋を開けて食べ始める人がいること。

もちろん、袋は残していてちゃんと精算するので問題ないのだが、日本では見ることのない光景。日本では、他の人からも変に見られるし、お店の人にも怒られるかもしれない。

ところで、チョコバーというのは、全面にコーティングした棒菓子のことだが、内部はスナック菓子、シリアル、クッキー、ビスケット、ヌガーやキャラメルなどが使われているもの。

記憶に残るチョコバーを挙げてみた。

日本で最初のチョコバーは、戦後の米国進駐軍が持って来たものだった。携帯用の栄養補給のために兵士に米国支給されたものだった。

米国マース社の「スニッカーズ」は1930年に作られている。また、イギリスのロントリー社(現在はスイスのネスレ)が「キットカット」を1935年代に作っている。

日本製は、カカオを自由に輸入できるようになった1970年代になってからで、他の本格チョコレートとともに登場する。

ただ、カカオは高価だったので、それ以前はチョコの量はどれも少なかった。

「チョコバット」は、三立製菓が1964年(昭和39年)より販売している。棒状のパン生地にチョコレートをコーティングしたもので、棒状だったが野球の「バット」というコンセプト。「ホームラン」などの当たりがある。今でも現役。

明治チョコバー(明治製菓、1967年、昭和42年)が発売。CMにザ・タイガースを起用していた。

森永タムタム(森永製菓、1968年)ココナッツが入ったチョコバー。

その後、「バー」と呼べないが、チョコレートをコーティングしたものがいくつも出る。


エンゼルパイ(森永製菓、1961年、) 
ポッキー(江崎グリコ、1966年、昭和41年)、
小枝(森永製菓、1971年、昭和46年)、
チョコフレーク(森永製菓、1967年、昭和42年)
チョコモナカ(森永製菓、1972年、昭和47年)

そして、
セコイヤチョコ(フルタ製菓、1976年、昭和41年)が登場。ウェハースをミルクチョコレートでコーティングしていて爆発的に売れた。





チョコパイ(ロッテ、1983年)

そして、

うまい棒 チョコ味(やおきん、1982年)
ブラックサンダー(有楽製菓、1994年)




こうやってみると、未だにチョコバーは戦前発売の外国の「スニッカーズ」が本格的で頑張っているのがわかる。



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